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■商品詳細
【書名】 琉球國 尚泰王書簡 明治廿八年六月十八日 薩摩藩主/島津忠義宛
【巻冊】 一枚
【書名】 琉球國 尚泰王書簡 明治廿八年六月十八日 薩摩藩主/島津忠義宛
【巻冊】 一枚
★ 17.6×23.8㎝
★ 書簡には六月十八日と記されているだけで年記も宛名も無いが、琉球王國最後の國王尚泰が薩摩藩最後の藩主島津忠義に従一位の昇叙を祝して贈ったと考えられる一通である。
★ 沖縄県糸満市の金城善氏の調査によると、日清戰爭が終結した直後の明治二八年六月一八日に従一位を叙せられた記録が『官報』の「叙任及び辞令」ニ島津忠義と長州藩最後の藩主毛利元徳と記されている。琉球王國は慶長以來薩摩藩の屬國であった關係から尚泰が島津忠義に贈ったと考えて必然であろう。
★ 『尚泰侯實録』(東恩納寛惇著/大正一三年刋)によると、尚泰は政府の許可を得で一度だけ沖繩に歸っている。明治一七年八月八日ニ横濱を出航して鹿兒島を經て八月廿三日に那覇に到着。上京のため明治一九年一月廿四日に那覇を發、一月三〇日鹿兒島着、二月一六日横濱着。
★ 島津忠義は明治一九年に政府から鹿兒島歸郷を許され、その際にわざわざ那覇に立ち寄った。忠義は尚泰は留守であったが薩摩切子を土産として進呈した記録があると云う。書簡には宛名が無いがあえて無いところに島津忠義との親しい交友關係が窺えようか。
★ 尚泰は明治一二年の琉球處分以降東京に強制連行されて幽閉され明治政府の監視のもと引き籠もりがちで他の華族とも交友が無かったとされているが元御國元の島津忠義との親交を裏附ける史料であり、強いては尚泰を主人公とした琉球史劇の名作「首里城明け渡し」の尚泰のその後の東京での生活を想像させる史料ともなろう。
★ この書簡が尚泰の自筆であるか祐筆によるものかは今後の研究課題である。これまで尚泰がこのような私的に書いた筆蹟が沖繩にも鹿兒島にも終焉の地東京にも存在していないからである。しかし金城善氏により明治一三年七月三日に宮内省宛に尚泰の家族を東京に移住させずに沖繩在留を求めた嘆願書の存在が指摘され、「従三位尚泰」に印が押捺されているところから尚泰の自筆の可能性があると云う。今回ここに發見した書簡は明治二八年のものであり嘆願書とは一五年の時差があり、更には緊迫感の上に楷書で書いた嘆願書に比べて親しい人に氣樂に書いた草書風の書簡との筆蹟ではあるが文字のバランスはよく似ているように感じられる。
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