| 日本スミレ図譜/井波一雄・前川文夫/井波さんの巧みなスケッチで細かい形態の比較ができるし大部分が生きている材料を前にして描かれている
昭和41年 写真に写っている日本のスミレ世界のスミレはパンフ 本書とは無関係のおまけです。 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
ジープはうなりを立てて登って行った。 そこは南米ペルーの中部, アンデス山脈を東へ乗り越えて パナオという町へ行 の峠道であった時は昭和41年1月,南半球だから夏の陽ざしがさんさんと照りつけてはいたが,海抜3000m を上廻る山腹はそれ程暑くもなく、時々アンデスハンノキの木蔭に入ると涼しい位だ。 ふと道端を見ると小さな赤い花がさい スょたベゴニアかと思ったが,少しおかしい、車を止めてかけよってみるとそれはスミレの種類であった.
崖に生えたチュスケアという芯のつまった竹の枝によりかかるようにして立ち上った茎は高さ 2mもある,葉と葉との 田中氏いるのでは10cm以上にもなる.まるで別の植物のようだが,花の作り,托葉のつき方などまごうかたなきスミレ あった。同行の橋本保君はさすがスミレに詳しいだけあって, これは Viola arguta だといいながら、夢中で写真をと ている。私はというと,正直のところ、しばらくは感に たえず眺めていた。よくもこの日本からはるばると遠いアンデ スの山中に,同じ花型をした同じ属の植物が 分布できたものだという驚きと,予期がむくいられたという満足とが,重な って私に急におそって来たからであった.
其後アンデスのみぞれの降る高山草原でも, インカの遺蹟の石積みがつらなるマチュピチュのけわしい崖でも、別の種 類のスミレをみつけてはそのたびになつかしく思ったことであった.
実際,スミレは北半球にはごく普通である. その一方では南米にも, またニューギニアを通ってニュージーランドにも という風に,南半球の奥深くまで分布している. この分布は一風変っている. どうしてこういう 分布になったか, それは これから解きあかしたいなぞであるが,私の説く古赤道沿いの分布の名残りである可能性が高い.
ところで2月半ばにアンデスからかえって来ると、まわりは 急に夏から冬になったので寒さが身にこたえたが,庭には あら旦咲きのタチツボスミレのつぼみが上っていた。ふだんありふれた雑草にも類するこの種類は 見慣れてはいたはずだ
しげしげと眺めてなるほど Viola だという感を深くした.そんな頃に井波さんの突然の訪問を受けた.スミレ図譜の出版が軌道に乗っているという、井波さんがなかなか風韻のある植物画を かかれることは 前々幾つかの作品を拝見して知 っていたが, こんなにたくさん描き溜めがしてあったとは知らなかった.
日本はスミレがたくさんある地域の一つである。 せまいながらも表日本と裏日本とのフロラの差もナガバノスミレサイ タントスミレサイシンとで代表されている。ゲンジスミレやタデスミレのようなとびこえ型を示すものもある. 一つの属 の中で色々の分化と分布を示している点ではまことに興味深い属の一つといえる. 井波さんの巧みなスケッチで細かい形態の比較ができるし、ことに嬉しいことは、大部分が生きている材料を前にして描かれていることである.日本のスミレ の位置がはっきりするためにはもっと近所隣りの中国大陸や 台湾や東南アジアなどのスミレが十分に比較されてはじめて 知ることだけれども, それに備えてまず手近で足もとの材料の整頓が 大事で,今ここにその図が 用意されたことは 心強い。
井波さんは是非校閲をしてくれといわれるまことに短兵急である。文中の二三の誤りを直した外はそのままにした. というのはこの本の主体はあくまでも図にある。井波さんは図を嬉しそうに眺めながら,「根を描くと,種類の違いがよく あらわれます」というこれはそう簡単にいえる言葉ではない、じっくりと実物の正体を掴んだ者がはじめていえる言葉 だ.私が井波さんの腕を信頼するゆえんである. 昭和41年4月6日 東亜関連植物をアンデスに求めての旅からかえって 東京大学 前川文夫
お探しの方、お好きな 方いかがでしょうか。
中古品ですので傷・黄ばみ・破れ・折れ等経年の汚れはあります。外箱傷、小汚れ、やけ。印あり。ページ小黄ばみ、ややしみ。ご理解の上、ご入札ください。
もちろん読む分には問題ありません。178502 |